Dialogue about 富取正明写真展『女優顔』
富取正明(写真家)×小林裕幸(スパイラル プロデューサー)
小林: 富取さん、今日はよろしくお願いします。
富取: よろしくお願いします。
小林: すごい広いところに2人でいる感じがしますけど。いよいよですね。
富取: はい。
小林: ここは富取さんの女優顔展を開催するスパイラルの1階、スパイラルガーデンの奥のアトリウムという空間なんですけど。
普通だったら展示する作品がある中に、今日はおっさんが2人で座っている、ちょっと変な空間かもしれないですけど。
今までスパイラルをご覧になってて、今はここにいらっしゃる感じって、どんな感じですか。
富取: 僕は何度かスパイラルでやってる展示を今まで見に来ていて、昔からの夢というか、いつかここで自分の写真展をやりたいなとずっと思っていたので、この素晴らしい空間に写真を展示できるということが本当に夢みたいですね。
小林: 本当ですか。
富取: はい。
小林: それは、ありがとうございます。いつ頃ですか、最初にスパイラルにいらっしゃったのは?
富取: 最初は、多分20歳ぐらいのときです。
小林: 20歳って…すいませんおっさん2人って言っちゃいました。スパイラルが出来て今年36年目なんです。20歳の頃というと…
富取: 25年前
小林: そうなんですね。
富取: うん。
小林: 25年前ですか。そうするとまだ2000年なってない。1990年代後半ですもんね。スパイラルはどんな印象でしたか。
富取: なんだろう、普通の四角い箱の展示会場と違って、やっぱりこの空間がすごい斬新だったというか、多分、当時でも今でも、おそらくこういう空間はないだろうなと思っていて、あの時はすごく新しく感じましたね。そして今でも古さを感じないです。
小林: そうですか。
富取: うん。
小林:その頃から、ご自身はやっぱり写真展をやりたいって思いはあったんですか? 25年前から…
富取: 写真展をやりたいという思いは、当時は全くなかったですね。
当時も写真をやっていたんですけど、本格的に仕事として写真を考えるようになったのは、22、23の頃からなので。特に写真をやってる人たちってみんな個展をやったりはするんだけれども、僕はどちらかというと、写真展をやりたい意識はすごく低かった。
なぜかっていうと、どうせやるならこういうところでやりたいっていう思いがすごく強かったので、正直言って他のギャラリーで写真展をやるっていうことはほぼ考えてなかったですね。
小林: そんなに思いを持っていたなんて、すごくありがたいです。
富取さん自身はコマーシャルのベースで写真を撮られている部分と、自分のクリエーションとして、アーティストとして撮る部分とを、今多分両方をやってらっしゃるというふうに思うんですね。
そして今回、女優顔っていう展覧会なんですけど、今のアートとして女優さんを撮る、コマーシャルとして撮るんじゃないとき、どういう視点で、どういう思いでその女優さんを撮られてますか?
富取: 仕事で写真を撮るときっていうのは、基本的に全てテーマが決まってるんですよ。例えば広告で撮る、雑誌で撮る。もしくは彼女たちが出演している番組宣伝のポスターとかね。基本的には全て売るものがあって、広告であれば企業を売る、商品を売る。雑誌であれば企画を売る、洋服を売る。または映画を売る、ドラマを売るっていう、売るものがあるんですけど。今回の女優顔っていうのは基本的に売るものがないんですね、一つも。
仕事で写真を撮るときは僕もプロですし、彼女たちもプロなので、じゃあ一緒に“ここ”に持っていこうよっていうのはおそらく10分、20分くらいかな、一瞬でそこに持っていくことができるんですね。
ただ今回の女優顔っていうのは、あくまで年齢もキャリアも違う女優さんたちが今の自分の職業「女優」というものに、今の感情で自分と向き合ってほしいという写真なので、すごく撮影に時間がかかるんですよ。お互い会話を重ねながら、時間を共有しながらね。ああじゃないか、こうじゃないか、メイクはどうだろうかと。何度やり直してもらってもいいですし、女優本人と僕が納得いくまでずっと撮影を続けます。本来であれば10分、20分で顔1枚の写真ができてもおかしくない。ただ今回は、この1枚を撮るのに人によっては6時間ぐらいかかるし、それがアートというのかどうかわからないけれども、その時間を共有して作り上げていくということが、僕の中では圧倒的に仕事と違う部分。もしかしたらそれをアートいうのかもしれないし、あんまりアート作品を創っているという意識は実はあんまりなくて。僕はずっと、仕事でも人を撮ることが多かったんです。なので、僕の中での感覚っていうのも、やっぱり年齢とともに変わっていく部分があって。もちろんその写真に対する向き合い方だったり、好きな写真だったりっていうのも、年々変わっていくというか、常に一緒ではないので。僕は写真の一番の面白みは記録だと思っていて。
もう昨日撮った写真は2度と撮れない...、今撮ってる写真も撮った瞬間から過去になってしまうので、被写体の記録。そして僕が今、何に興味を持って、どういう世界で物を見ているかを記録する、自分の記録でもあると思ってます。それが多分仕事で撮るときと、作品として撮るときの一番の違いかなと。
小林: 女優さんが納得した顔と、富取さんが納得するアウトプットの作品と一致してるんですか?
そこは今お聞きしてて、思ったんですが....
富取: 本当に不思議なことに完璧に一致します。
小林: それすごいですね。それはちょっと今、鳥肌立つぐらいの話ですけど…
富取: これは本当にね、僕も不思議なんですけど。おそらく撮影のときにね、何百枚も撮るんですよ、ただの顔だけの写真を。ただ、最後に選ぶ“1枚”は完璧に一致します。
小林: すごいですね。
富取: 今回50人の女優さんたちにご協力いただいているんですけど、1人残らず一致しますね。
小林: その時、女優さんはどんな顔してるんですか、これがこれだって言ったときの顔って、やっぱりその50人それぞれ違います?
富取: 違います、違いますね
小林: そうするとその女優さんは、女優としてのやっぱ心構えなのかな、わからないけど、向き合い方がそれぞれ違うってことですよね、多分。
富取: 撮影のときにいつも言ってるのは、今回のテーマとして、仕事で演じている人格やキャラクター等を全部取っ払ってくださいと。演出も一切なくしてくださいと。あくまで自分自身が女優と向き合う。つまりそれは女優として、世の中に対して見せる姿、要は自分を演じる自分というのが1つ。もう1つは、本当にむき出しの女性になるか。そのどちらかなんです。個人として自分を見せるのか、女優として自分を見せるのか、おそらくこの2択。撮ってる写真の中で、私だったらこれ。だけど、女優として見せるんだったらこれっていう2枚で最後必ず迷う。僕は人間として、人として見せるんだったらこれだよね、女優として見せるのってこっちかもねっていう最後だいたい3枚とか2枚を決める。最終的にはこのどっちを見せるかは本人たちに決めてもらっている。というのが、撮影の流れですね、セレクトをするときの。
小林: そのときに富取さんは、どういう状態になってるんですか?
それはプロフェッショナルのカメラマンじゃないカメラマンの富取さんは?
富取: それは、おそらく僕が写真を撮っているときは、今まで自分がずっと信じてきた技術だったりとか、それの最高峰を使っている、自分の中ではね。自分の持てる技術の全部を使ってポートレートという写真を撮っているんだけど、デジタルカメラなのでモニターに写った写真を見ているときは、おそらく人として、見てるのかなと。撮影しているとき、モニターを見てるときは、多分僕の中でもちょっと違う人格というか、違う判断基準というか、物を見てる気がしますね。
小林: 女優顔を最初に撮ろうと思ったきっかけっていうのは?
今回の展覧会では、50人なんですけど、そこまで取ろうと思ってたのか。最初はどういうきっかけだったんですか?
富取: 最初、僕がSUMMERNUDEっていう、フジテレビの月9のドラマがあって、その主人公がカメラマン役だったので、そこに僕は現場の指導というか、撮影シーンの監修でその現場に3ヶ月ぐらいずっとベタ付で入っていたときがあって。そのときに出演していたある女優さんと話をしてるときに、その人が映画とかドラマとかもうぐちゃぐちゃに入っているときだったので、人格混ざらないの?って聞いたら全然大丈夫ですって言うんですよ。「私、役と役の合間では自分を演じてますから」という話をされた。自分を演じるって何だろう…って思ったときに、これは僕でもそうですし、どんな職業の方でも、おそらく職業という役柄を普段皆さん演じてるんだろうなと。例えば僕でも現場に入るときは、おそらくフォトグラファーという役を演じているというか、フォトグラファーという役柄で物を喋るし行動をするし…っていうことをやってるなと。これはお医者さんであろうが、おまわりさんであろうがどんな職業の方にもきっとそうだろうと。ただ、それが「素」か、「素」じゃないかと言ったら、みんな多分「素」なわけなんですよ。それぞれが仕事のときも「素」だろうし、プライベートでいるときも「素」だろうと思うんだけど、ただ一つ、役というものを着てるなと。彼女が言ってるのはそういうことだろうと思ったとき、普段別の人格を演じる女優さん、女優という職業が、自分自身を演じたら、自分自身をどう見せたいか、どうありたいか、という写真を撮れたら面白いだろうと思ってこの企画を始めたんです。最初は50人撮ろうとは全く思っていなかったですし、逆に言うと数を集めたいと思ったことは過去にもないし、今でもない。僕はドラマや映画が好きで、そこで見て、現場でお会いして、この人素敵だなと思う人に声をかけさせていただいて、ご協力いただいてる。その1人がたまたま今回50人になってしまったということです。なので、この人を撮りたいと思った方をとらせていただいているだけで、30人にしようとか、40人にしようかとか、50人にしようって思ったことはないですね。
小林: これはやっぱりフォトグラファーとしての富取さんのライフワークになってる感じなんですかね、何かの目的っていうよりは。今回は写真展として皆さんにお見せするんですけど、結果何かそれが目的ではなくて、ライフワークとして撮られてるのかなという感じもしますね、今のお話を伺っていると。
富取: そうですね。なぜ撮ってるのかと言われると、これ本当自分でもわからなくて、何のためにやってるのかというのを考えたことがない。
小林: 僕はアートって最初の方に言ってしまいましたけど。だからそこはすごくアートなのかなっていう感じがしましたけどね。だから何かを実現すると、それは何かを実現するってものとか、こととかではなくて、自己実現だったりもするし、あの自分が何かを表現したいものをアウトプットしたいっていう、ただその欲求だけが何かアートの感覚なのかなっていう気もしてたので。そういうとこから言うと、何か作品を世の中に出してるっていうよりは、アーティストとして何か自分、自己を実現するのか、自己の欲求を満足するのかちょっとそこはわかんないですけど何かを出したいって思いっていうか、表現したいって思いだけなのかなっていうことで撮られてるのかなという感じがしてたので、アートっていう表現をしたんですけどね。
富取さん自身はどなたかの影響を受けたかっていうのはあるんですか? どなたか、フォトグラファーの誰かとか、今映画とかもお話出ましたが、映画なのかもしれないし、何かの影響を受けたとか、今も何か強い印象が残ってるようなものってあるんですか?
富取: 知らず知らずのうちにもしかしたら影響を受けているかもしれないですけど、基本的に何かの影響受けたということはないですよね。ただ1つあるとするならば、演出家の南流石さんという方がいて、僕が20代の若い頃に流石さんにすごくお世話になった時期があって、ジャンルは違うんですけれども、流石さんの現場をいろいろ見させていただく機会が数年あったときに、この人みたいになりたいというか。物事の考え方がさっきおっしゃったその自己実現ではなくて、人に喜んでもらうためにやっている。彼女はエンターテイメントの世界の超一流の方なんですけれども、みんなで現場を作ってみんなで遊んでいるみたいな、そんな感覚だったんですよ。立場もいろんな方が現場にいる中で、その中で全員が並列というか、みんなでこれを作っていこうそしてそれをお客さんに見ていただこうっていう。自分たちがやってることが楽しいとか楽しくないじゃないと、お客さんを喜ばせることが全てだよっていう感覚みたいなのが、僕はすごく好きで、好きでというかはまってしまったのかな。なのでそうありたいなと思っていて。
今回の女優顔に関しても、普段彼女たちっていうのは、仕事で写真を撮ることは、もう何万枚何億枚ってきっとあると思うんですけど、こういう作品として写真を撮ることってほとんどないと思うんです。その中でやっぱり彼女たちが、この写真を撮ることによって喜んでくれるっていうのが僕はすごく嬉しくて。やっぱり自分と向き合う作業、もう今まで見たことのない自分であったりとか、今まで見たことのない顔であったりとか、自分でも気づかなかった部分だったりとか、そういういろんな発見があってそれをすごく皆さんが喜んでくれる。
小林: それすごいですね。
富取: それが僕も嬉しくて。
小林: なかなか6時間付き合うっていうのはね。だからその撮影現場自体が、やっぱそういう思いの中で出来上がってるから、時間というの忘れるのかもしれないですよね。
富取: そうですね。すごく楽しい。何だろう、現場の空気がものすごくいい。皆さんもプライベートな感じで、僕もプライベートな感覚。ただカメラ前に立って向き合うときは、もう彼女たちが出してくる波動というか、エネルギーというか、それを感じます。
小林: 完全なるプライベートでもないっていう。ちょっと面白い空間が出来上がってるような感じがしますよね。だからさっきアートっていいました。アートでプロになるかプロじゃないかっていうと、やっぱり単なる自己満足、自己実現だけじゃなくてそこで社会性っていうのが重要になってくると思うんですよ。それがあってプロとしてのアーティストってことになる。今のお話伺ってると、やっぱ社会性っていうこと。それは場の雰囲気もそうですけど、単なる自分の富取さんの、自己満足で撮ってるんじゃないっていうところ。で、それを越えていった社会性みたいなところが多分あって、それに共感してくる部分があって。だからその空間そのものとか時間を共有することへの喜びを感じてる。で、今度それがさらに展覧会までになっていくと、さらに社会性を持ってくるっていうことになってくると思うんですよ。だから何ていうのかな、単なる仕事をしているだけの仕事の空間とプライベートの空間だけじゃない空間。今コロナ禍で、リモートで、そのちょっとわからない空間にいることが多いと思うんですよ。それはもう1つの空間が今出来上がってる感じがして、完全な職場と完全なプライベートの間の空間にいなきゃいけないっていうのが、コロナの影響で出来上がってるんですよね。ただ、今それは富取さんの話を聞いてるとそうじゃないところでその空間を作って、それが何か社会性もあってプライベートもあって喜びにもなっていて、何かすごい面白い空間の中で作品が出来上がってるなって感じがすごくしたんですよね。それって今の人たちにもすごく響くことがあるのかなと思うんですよ。
「素」なのか、プロとしているのかっていうのを、コロナの影響でそういう場に置かなきゃいけなくなってる自分がみんないると思うんですよね。だから何かそれはすごく今の社会にとってすごく面白いメッセージなのかなっていうか、面白い捉え方なのかなっていう感じがすごくしましたよね。
何かもうちょっと展覧会のお話をしなきゃいけないと思うんですけど。
香港と上海とマカオとやってこられて、そのときはどうでしたか?
それは多分コロナ前だったと思うんですよ。そのときってどんなお客さんの反応だったんですかね?
最終的には今回東京っていうことになって、先ほどスパイラルのお話を伺って、おそらく東京はやりたかったのかなっておもうんです。そして、今回ははコロナ禍の中での東京開催になります。コロナの前の海外、香港、上海マカオ。そのときの印象はどうでしたか?見てくださってたお客さんは皆さんどんな印象だったんでしょうか?
富取: 海外でやってきたときっていうのは、これも本当にいろんなご縁があって、皆さんに本当に協力いただいて、海外で何カ所かやることができたんですけれども。おそらく海外でやってたときっていうのは僕の写真はこうだという気持ちが多分すごく強かった。この写真を見てください、僕はこういう思いで写真を撮っていますっていう自分のやりたいこと、見せたいこと、伝えたいことがおそらくちょっと強かったと思うんです。ただ、小林さんおっしゃったように、世の中がこういうコロナという状況になって、これだけ人と人が会えない。つまり人と人の距離があるときに、やっぱりポートレートというのは、人と人が会わないと撮れないものだと。会うだけではなくて、会話を重ねて時間を共有して、1つのものを、顔を創るというのを経験して、今回の東京では、どちらかというと、見る人が何を感じてくれてもいいなというか、自分はこういうふうに見せたい、自分の写真はこうだという気持ちよりも、見る人はそれぞれいろんな受け止め方をして欲しいなっていう方が、もしかしたら今圧倒的に強いかもしれないです。
この写真を見て何を感じてくれてもいい。中にはただの顔じゃないかよ、顔だけの写真じゃないかよっていう人もいると思う。でもやっぱり人と人が会って、作り上げるポートレートを、それぞれが感じてくれたらいいなって思ってます。
小林: 向き合わないと撮れないものですしね、本当に。そこにいなければ、実現できない作品が並ぶわけですから。今何かこのコロナ禍で皆さんすごく感受性っていうものは豊かになってる感じもするので、どういうふうに見ていただけるかって、僕もすごく楽しみにしてますので、ぜひたくさんの人に見ていただきたいなと。こんなコロナでたくさん来てくださいって言いづらいんですけど。ぜひ見ていただきたいなというふうに思います。
富取: しかもこの空間ですからね。
小林: ありがとうございます。
富取: 本当に自分の夢の場所で自分の写真を展示させていただいて、多くの人に見てもらえるという状況が、今でも僕はちょっと信じられないです。すごく嬉しい、本当に嬉しく思います。
小林: ありがとうございます。今日はありがとうございました。
富取: ありがとうございました。
小林: 楽しみにしています。
富取: よろしくお願いします。
協力:スパイラル